Munshi and Rosenzweig (2016): Networks and Misallocation: Insurance, Migration, and the Rural-Urban Wage Gap

今回は「移住(permanent migration)とリスクシェアリング」をテーマにしたMunshi and Rosenzweig (2016)を紹介します。 この論文では「インドで都市・農村間の賃金差が大きいのはなぜ?」という疑問に対し「農村部でのリスクシェアリングのネットワークが発達しているため、人々が都市部に移住しない」という仮説をたて、モデルを構築し、その理論的予測をデータを用いて検証しています。

論文の概要

問題意識

上で述べたとおり、この論文の出発点は「インドの都市・農村間の賃金差が(生活費の違いを考慮しても)他国に比べて大きい」という観察です。 「では農村の人たちは都市に移動して高い賃金で働けばいいのでは?」と思われますが、特に長期的に人が都市部に移り住むということはあまり起こっていません。 これに対し、著者らはカースト(厳密にはjatiというグループ)を軸としたリスクシェアリングに着目し、「移住をする=このリスクシェアリングのネットワークを抜ける」ことになるため、保険制度の発達が遅れているインドでは移住が起こりにくいのでは?という仮説をたてました。

なお、この移住 (permanent migration)という言葉はちょっとトリッキーで、論文中では「成人男性が長期間(永続的に)家計を離れる(ただし家計そのものは農村部にとどまる)」ことを指す用語として使われています。 特に、短期間、例えば農閑期に都市部へ働きに出るケース(seasonal migration)、家計がまるごと都市部へ移動するケース(挙家離村)、成人女性が主に結婚により家計を離れるケースとは異なるという点は重要です。 実際、インドではseasonal migrationは活発に行われており(Morten (2019) はseasonal migrationとリスクシェアリングとの関係について分析している)、また Rosenzweig and Stark (1989) はjati内での婚姻関係、特に異なる村の家計同士の婚姻関係を通じたリスクシェアリングの重要性を指摘しています。 その上で、都市・農村間の賃金格差の解消のためにはスキルの習得や経験が必要で、そのために長期的な人の移動は不可欠であろう、という考えのもと移住に焦点をあてた分析を行っています。

モデル

この論文では、移住とリスクシェアリングとの相互関係を明らかにするためにモデルをたてています。 このモデルでは、家計は「移住をせずリスクシェアリングのネットワークに属する」か「移住をしてリスクシェアリングのネットワークを離れるか」を選択します。 リスクシェアリングがどれだけうまく機能するかは、どれだけの人が移住をせずネットワークにとどまるかに依存し、多くの人がネットワークにいればそれだけ消費の平準化がうまくいき、リスクシェアリングのパフォーマンスが高くなります。 各家計は、移住から得られる便益(期待所得の増加、所得源の分散化による所得平準化)とリスクシェアリングから得られる便益(消費の平準化)を比べ、前者が上回る場合に移住を行います。 家計間には移住から得られる便益に異質性があり、この便益がある閾値以上の家計は移住を行い、その他の家計は移住を行わないという「均衡」状態を考えています。

さらに重要な設定として、リスクシェアリングのネットワーク内で、消費量は「リスクシェアリングから得られる余剰の総和」を最大化するように決まると仮定しています。 ここで「余剰」は「(リスクシェアリングのもとでの効用) - (移住をしてリスクシェアリングをしていないときの効用)」を指します。 (なぜこの余剰の総和を最大化するように消費を決めるのかについては説明されていません。これは後に議論します。)

このモデルから、カースト内に異なる所得水準の家計が存在するとき、以下の理論的予測が得られます:

  1. 相対的に所得の低い家計がリスクシェアリングからより便益を得る
  2. 相対的に所得水準の高い家計はより移住を行う
  3. 農村所得のリスクの小さい家計はより移住を行う

おそらく1は「余剰を最大化するように消費を決定する」という仮定の直接的な帰結であり(=限界効用の大きな家計の消費を増やす方向に分配が行われる)、2は1の帰結としてリスクシェアリングから得られる便益が想定的に小さいためです。 他方、3は強力な理論予測で、これがデータから支持されるかどうかがモデルの有効性を考える上で重要となります。

いわゆる「誘導型」の分析による理論予測の検証

次のステップとして、これらの理論予測をデータを用いて検証しており、予測を支持する結果を得ています。 データ分析のちょっとユニークな点として、2つの異なるデータを組み合わせていることが挙げられます。 具体的には、まずICRISATというパネルデータを用いて、家計の長期的な所得の平均、分散を家計の特性(土地保有や家計構成など)の関数として表します。 これを用いて、サンプルサイズが大きく多くのカーストをカバーしているREDSという横断データにある家計の長期的な所得の平均、分散を impute しています。

構造推定による反実仮想の定量的評価

さらに、この論文ではモデル内のパラメタを構造推定を用いて求めています。 構造推定を行う目的は (i) モデルの妥当性を確かめることと (ii) 反実仮想のシミュレーションを行うことです。 モデルのパラメタは「出稼ぎから得られる便益の分布(指数分布を仮定)のパラメタ」と「農村所得の分散に比べ、移住をしたときに得られる所得の分散はどれだけ大きいかを指すパラメタ」の2つです。 前者は家計の都市所得と農村所得の差から直接求め、後者はGMMで推計しています(モーメントは移住を行っている家計の割合)。

これらのパラメタをもとに、まず構造モデルが消費水準をうまく予測することを示しました。 消費の情報は推定に用いられていないので、にもかかわらず予測がうまくいくということは推定されたモデルが現実をある程度うまく記述できていることを示唆します。 これが、目的 (i) であるモデルの妥当性を確かめるという作業です。 さらに目的 (ii) である反実仮想のシミュレーションとして、「もしフォーマルな保険が存在し、移住をした場合の所得リスクをある程度カバーしてくれるとしたら、移住を行う家計はどのように変化するか」を考えました。 その結果、移住した際の所得の分散を半減すると移住をする家計は倍増するという結果が得られました。 他方、「移住から得られる便益を増やしたら移住を行う家計はどのように変化するか」という実験も行いましたが、これによる移住家計の増加はわずかなものでした。 これらのシミュレーションの結果は、インドで都市・農村間の賃金差が大きいにも関わらず移住者が少ないのは、移住に伴いリスクシェアリングのネットワークを抜けなければならず、そのコストが大きいためである、という著者らの主張を裏付けるものとなっています。

感想

消費分配ルールの決定方法

モデルの設定として、各家計の消費量は「リスクシェアリングから得られる余剰の総和を最大化するように決定される」と仮定されています。 例えばTownsend (1994) に見られるリスクシェアリングのモデルでは家計の消費量は外生的に決められたパレートウェイトに従って各家計の消費量が決定されるとされているので、そのようなモデルに比べて「消費分配ルールを内生化する」という試みは面白いなと思います。(例えばLigon, Thomas, and Worrall (2002) にある limited commitment を考えたモデルでは、過去と現在の所得から内生的に消費の配分が決まりますが、今回の論文のような内生化の仕方は新しいんじゃないかと思います。) しかし、この「余剰の総和を最大化する」ことの正当性が議論されておらず、なぜコミュニティがこの方法で消費分配ルールを決めるのか、明らかではありません。 構造推定のパートでモデルの妥当性を検証しているというのがある意味でこのルールの正当化と言えるかもしれませんが、この論文の文脈でどれほどの正当性を持つのかの議論があるとよかったなと思います。

効用関数のかたち

モデル、さらに構造推定ではフォン・ノイマン - モルゲンシュテルン効用関数はlog型と仮定されています(厳密にはその二次の近似が考えられている)。 これは相対的リスク回避度を1と設定するのと同義で、ちょっと現実味のない仮定だなと思います。 リスク回避度のパラメタを推定しなかった理由は、おそらく識別の問題のためです。 具体的には、このモデルで移住家計が少ないととき、それが家計のリスク回避度が高いためかそれとも移住先での所得リスクが大きいからかわかりません。 それはそれで仕方ないかなとも思いますが、より現実的な相対的リスク回避度を既存の研究から拝借して、それを用いたCRRA型の関数を使うという方法もあったかなと思います。

ちなみに、この構造推定ではMapleというソフトを用いているのですが、そのコードを見てみると効用関数を定義する際に、最初にCRRA型の関数として定義したけどそれをコメントアウトしてlog型の関数として定義し直す、という思考過程が残っていてちょっとおもしろいです。

いわゆる「誘導型」の分析での内生性

理論予測を検証する際、論文では家計所得の内生性をほぼ考慮せず分析を行っているのがちょっと興味深かったです。 家計のリスク回避度、あるいは信用制約といった要因が除外変数となり推計値にバイアスを与えている可能性があるなと思いました。 こういった分析が許されるのは大御所パワーかもしれませんが、それより論文の全体的な貢献(問題設定と仮説の提示)が大きいからかなとも思います。

反実仮想のシミュレーションの妥当性

論文では構造推定により得られたパラメタのもとで反実仮想のシミュレーションを行っています。 このYouTubeビデオで、Chris Taberは構造推定は policy invariant なパラメタを推定するもの(そしてあるパラメタが policy invariantかどうかは反実仮想の policy として何を考えるかに依存する)、と言っています。 この論文では、反実仮想のもとでモデルのパラメタそのものが変化してしまう可能性はないかな、と思いました。 例えば、移住先での所得リスクを減らす政策の効果が考えられていますが、この政策は移住家計を増やし、都市部での移住者同士のネットワークを強固にし、たとえば Munshi (2003) にあるように移住者が職を得られる確率を高め、結果的に移住による便益(=モデルのパラメタの一つ)を高める、という可能性が考えられます。 「いや、部分均衡の分析なので。」という言い分もあるかもしれませんが、分析の限界は明らかにする必要があるなと思いました。

さいごに

最後まで読んでいただきありがとうございました。 少し宣伝ですが、この論文の構造推定の一部をここで再現しているので、もし興味のある方は見ていただければと思います。 (超余談ですが、このコードはJuliaで書いています。最初はPythonを使っていたのですが、制約付き最大化問題を構造推定の過程で解かなくてはいけなくて、Juliaのほうがクリーンなコードを書けたからです(JuMPを使いました)。)

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鈴木

コメント

渋谷

面白い論文の紹介ありがとうございます!2点コメントがあります。

一点目は「移住」の定義について。出身地のリスクシェアリングネットワークを離れることを考えると、自然に考えられる定義は「一家まるごと移住」かなと思います。一家庭の成人男性が移住しても、家計がネットワークに残る場合、現実ではそれがどう完全にリスクシェアリングネットワークから離脱することになるのか、少しわかりにくいなあとおもいました。

2点目は一点目に少し関係するのですが、移住パターンとネットワークは関係があり、出身地に既存するリスクシェアリングネットワークが移住先でも継続的存在する可能性が考えられるかなと思います。上述のMunshi (2003)はメキシコのケースですが、移住先でのネットワークの大きさが就職率を大きく影響するとありますが、このネットワークが就職だけでなく、移住先での保険として働く可能性があるかなとおもいます。

元橋

だいぶヘビーでかっちりとした印象な論文ですが、とても勉強になりました。モデルは示唆に富んでいて、刺激を受けました。

渋谷さんが指摘しているように、「移民」の定義が色々とある中で、なぜ成人男性の長期的な移住に注目したのか、不思議に思いました。インドはそうした現象が多いのかもしれませんが、家族を置いていくのは不思議です。既婚者が一人で家族を置いて都会にいくというより、未婚者が都市部に移住してそこで仕事を探すイメージなのでしょうか。

携帯電話やモバイルマネーが発達した今では、都市部に行っても、農村部のリスクシェアリングネットワークから切り離されずに、そのまま居続けることが可能な状況かもしれません。この新しい状況に対応するモデルがあっても良いかもしれません。ただ、都市部の人と農村部の人がリスクシェアできれば、都市部と農村部のリスクはそれほど相関してないと思うので、より消費が平準化されそうです。

文献:

Ligon, Ethan, Jonathan P. Thomas, and Tim Worrall. “Informal insurance arrangements with limited commitment: Theory and evidence from village economies.” The Review of Economic Studies 69.1 (2002): 209-244.

Morten, Melanie. “Temporary migration and endogenous risk sharing in village india.” Journal of Political Economy 127.1 (2019): 1-46.

Munshi, Kaivan. “Networks in the modern economy: Mexican migrants in the US labor market.” The Quarterly Journal of Economics 118.2 (2003): 549-599

Munshi, Kaivan, and Mark Rosenzweig. “Networks and misallocation: Insurance, migration, and the rural-urban wage gap.” American Economic Review 106.1 (2016): 46-98.

Rosenzweig, Mark R., and Oded Stark. “Consumption smoothing, migration, and marriage: Evidence from rural India.” Journal of political Economy 97.4 (1989): 905-926.

Written on November 30, 2020