インドにおけるトイレ建設の水質と健康に対する負の外部性(元橋ジョブマーケットペーパー)

新年明けましておめでとうございます!

本ブログは、執筆メンバーの博士課程修了(鈴木瑞洋さんおめでとうございます!)やジョブマーケット準備等のため滞っていました。今年は、中村昌太郎さんと私(元橋一輝)がジョブマーケットに出ています。

経済学のジョブマーケットでは、博士課程中に取り組んだ最も自信のあるペーパーを一つジョブマーケットペーパーとして選び、そのペーパーが採用過程で大変重要になります。今回は、私のジョブマーケットペーパーを日本語で解説したいと思います。

なお、本ブログ記事は、世界銀行のDevelopment Impactに投稿された記事を日本語に翻訳して、加筆修正したものです。英語での記事にご関心のある方は元の記事をご覧ください。

はじめに

発展途上国における人々の健康増進のための水衛生投資の重要性は、政策立案者や研究者によって広く認識されています。世界では、2016年に約7億人が野外排泄を行い、それによって43万2,000人ものが下痢で死亡したと推定されています。こうした問題に対処するため、インドや中国などの発展途上国は、トイレの建設に多額の補助金を出しています。トイレ建設による直接的な健康上の便益(乳幼児死亡率の低下、子どもの発育阻害の改善)は先行研究で明らかになっています。

しかし、トイレに溜まった汚泥の不適切な処理によるトイレ建設の意図しない負の外部性についてはほとんど知られておらず、この負の外部性が直接的な健康上の便益を相殺してしまう可能性があります。建設されたトイレには大量の汚泥が蓄積され、その汚泥は定期的にバキュームトラックや手作業で引き抜く必要があります。引き抜かれた汚泥は、下水処理場等で処理され、残存する病原体を除去することが望ましいです。しかし、インドでは下水処理場等のインフラが十分でないため、多くの場合、引き抜かれた汚泥は河川に捨てられ、河川が汚染されています。このような水質汚染の外部性は、野外排泄の減少がもたらす直接的な正の効果を相殺する可能性があります。

本論文は、インドの全国的な水衛生政策であるSwachh Bharat Mission(SBM)を例に、トイレ建設が水質と健康に及ぼす負の外部性を検証しています。結果として、SBM下でのトイレ建設は、河川汚染を72%増加させることが分かりました。また、トイレ建設は全体として下痢死亡率を低下させますが、この健康に対する正の効果は、水質汚染の外部性が大きい処理能力の低い地域では3分の1に減少しました。これらの結果は、意図しない水質汚染の外部性が健康への正の効果を相殺することを示唆しています。

インド農村部における大規模トイレ建設政策

本論文は、世界最大のトイレ建設政策であるSBMの事例を取り上げます。SBMは、2014年以降、インド農村部において1億基以上のトイレ建設に補助金を出しています。SBMの補助金額は一世帯あたり最大150米ドルで、トイレの建設費の大半をカバーしています。このように大々的にトイレ建設を推進したことで、目標年である2019年までに大半の県(District)でトイレ普及率が100%に近づきました。

このような大規模なトイレ建設が水質にどのような影響を与えるかを検討するために、SBM下での2012年から2019年までの県レベルのトイレの設置数と、2007年から2019年までの337県の川沿いの1,189箇所の水質測定地点の行政データを使用します。これらを県レベルの下痢死亡率の推定値と組み合わせて、健康への影響を検証しました。図1に示すように、これらのデータセットを使って広範囲に渡る県レベルの分析を行うことで、村レベルで行われたフィールド実験に基づく先行研究では十分に捉えられなかった、村を越えうる負の外部性を検証することができるようになります。

「水質測定地点

図1 インドにおける水質測定地点の分布

注)オレンジ色の点は水質測定地点、黒い線は県境、青い線は河川を示します。

トイレ建設に影響を与える土壌特性の地理的ばらつきの活用

トイレ建設の水質や健康に与える影響の因果関係を推定するために、主に操作変数(IV)デザインを採用し、土壌浸透率の代理指標であるAvailable Water Capacity(AWC)の地理的ばらつきをトイレ設置数の操作変数として利用します。土壌浸透率が高いほど(AWCが低いほど)、トイレに溜まった汚泥によって近隣の井戸の地下水が汚染されるリスクが高くなります。このリスクに対処するため、2014年のSBM開始時から適用された政府の技術ガイドラインは、浸透率の高い地域では、トイレと井戸の距離を大きくとるか、トイレ内に遮水材を追加することを求めています。そのため、AWCが低い地域だと、2014年のSBM開始以降、トイレ建設の難易度とコストが高くなります。実際、First stageの分析において、SBM後の期間には、AWCが低いほどトイレ設置数の増加量が少ないことが分かりました。

また、除外制約(Exclusion restriction)の仮定を検証するために、アウトカムをAWCと年ダミーの交差項に回帰させる誘導型(Reduced-form)の回帰分析を行いました。除外制約によると、技術ガイドラインが有効でなかったSBM政策以前には、AWCは結果に影響を与えないはずです。分析の結果、実際に2013年まではAWCが水質や健康に与える影響は見られませんでした。逆に、2014年のSBM政策開始以降、AWCが上がるほど(トイレ建設がより進むほど)、河川汚染が増加し、下痢死亡率が減少しています(図2)。

「AWCとアウトカム

図2 AWCが水質と健康に及ぼす影響

トイレ建設は河川汚染を増加させるが、全体として健康状態は改善される

IVデザインでは、1平方キロメートルあたり1つトイレを追加すると、河川汚染(糞便性大腸菌群)が3%増加することが分かりました。SBMの全体の効果を見ると、河川汚染は72%増加すると推定され、これは大きな効果です。しかし、1平方キロメートルあたり1つトイレを追加すると、下痢死亡率が(ベースラインの1000人あたり2.3人の死亡率から)1.3%減少し、SBM下では下痢死亡率が合計で36%減少することが分かりました。この純健康改善効果が示唆することとして、直接的な健康に対する正の効果が、河川の水質汚染による健康への負の外部性を上回っています。

水質汚染の負の外部性は汚泥処理能力の低い地域でより大きい

トイレ建設が水質に及ぼす効果は、汚泥処理に対する補完的な投資の程度によって異なることが分かりました。汚泥を処理するために十分なインフラがあれば、汚泥投棄を最小限に抑えることができます。そのようなインフラとして、下水処理場(Sewage treatment plants)が最も一般的です。そこで、下水処理場の処理能力(SBM直前時点)が高い地域と低い地域の効果を比較しました。その結果、処理能力の高い地域では、水質に対する負の外部性が解消されることが分かりました。逆に、処理能力の低い地域では、水質に対する負の外部性が大きいことがわかり、汚泥投棄が水質に対する負の外部性のメカニズムであることが示唆されました。

SBMの純健康効果は、処理能力の低い州(水質汚染が大きい州)においては下痢死亡率の26%減少であり、処理能力の高い州での71%減少に比べると、約3分の1です。水質汚染が健康に対しても負の外部性をもたらしていることが示唆されました。また、この水質汚染の健康への影響は、河川汚染への曝露度合い(夜間光の明るさに基づいて測定した河川の近くに居住する人口の割合を代理変数とする)による異質性分析においても示されました。その分析において、下痢死亡率に対する正の健康効果は、河川汚染への曝露が高い県ほど小さいことが分かりました。

さらに、トイレ建設の水質汚染の外部性が下流域にも波及することを、河川上流域と下流域の自治体の相互関係を分析することで示しました。上流の処理能力が低い場合、上流のトイレ建設は下流の河川汚染を増加させ(ベースラインの結果と同程度の効果)、健康への正の効果は有意でなくなります。

政策的インプリケーション

分析結果に基づいて裏計算をすると、健康への純便益はSBM政策の補助金コストに見合うものであることが分かりました。ただ、汚泥処理を改善すれば、低い追加コストで健康効果をさらに高めうる。汚泥処理能力が高いことによる県レベルの追加的な健康効果(1810万米ドル)は、追加的な下水処理場の建設・運営コスト(1150万米ドル)よりも大きくなりました。そのため、トイレ建設を推進するだけではなく、汚泥処理に投資することで、健康面で水衛生政策をより効果的にすることが分かります。

最後の一言

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ありがとうございました。

元橋

Written on January 1, 2023