上下水道インフラには実際に健康改善効果はあるのか?

ブログの記事の投稿が滞ってましたが、アメリカの大学では夏休みに入りましたので、これから記事をどんどんアップしていきます。ブログを放棄したわけではないため、これからの投稿を楽しみにしてください!

今日は、私の研究している「水」の分野から最近の研究を紹介できればと思います。

Marcella AlsanさんとClaudia Goldinさんによる“Watersheds in Child Mortality: The Role of Effective Water and Sewerage Infrastructure, 1880–1920 (JPE 2019)”です。Jounal of Political Economyというトップ誌に載っています。TsetseバエのAlsanさんの再登場ですね。

最近はWater関係で、“Consequences of the Clean Water Act and the Demand for Water Quality (QJE 2018)”などもあり、トップ5ジャーナルに載る論文が増えてきている印象です(古くはKremer et al. 2011のSpring Cleaningなどもありますが)。同分野に関心があって研究している私としては嬉しい限りです。

最近のアメリカの環境経済の学会(AERE)に参加しても、今は大気汚染の方が関心が大きいように感じますが、水質汚染の影響について分析する研究も増えてきたら良いなぁと思います。大気汚染の方が健康被害が大きいからこそ(被害額を計算すると大きく出る)、注目されるとは思いますが・・・。

あと、Water関係だと、Groundwaterの枯渇に注目したResource, Agriculture寄りの研究の研究が最近流行りのようですね。水質汚染より水資源の不足の方が大きく問題として挙げられているからでしょうか。インドやアメリカのカリフォルニアの農業には大きな影響が出ているそうです。

概要

アメリカの歴史を振り返ると、1880年頃から1920年にかけて、乳幼児死亡率(Child mortality rate、5歳未満の死亡率)と乳児死亡率(Infant mortality rate、1歳未満の死亡率)がかなり下がったようです。

その要因として、上水道インフラと下水道インフラの役割を分析しています。今ではすっかり発展途上国の話ですが、少し前までは日本を含めた先進国では、上水道インフラで安全な飲水にする他、下水道インフラでしっかり排水処理することで、飲水源の汚染を防止することが大事になっていました。このように今の途上国の文脈で役立つことを、先進国の歴史を分析することで提示しています。

脇に逸れますが、こういうところに歴史を対象とした研究の意義を感じますね。本ペーパーのように、昔の先進国で今の途上国よりデータがしっかりしていたり、良い識別戦略に使える設定があると、今の途上国を必ずしも分析することなく、昔の先進国を分析した方が良いことになります。

少し妄想してみると、あと数十年して途上国で高齢化が問題化してくると、その時点から振り返って現在の日本での高齢化対応をテーマとした歴史研究が進むかもしれませんね。。。課題先進国と呼ばれる日本だからこそ、将来歴史的な研究の材料になりそうです。

本題に戻ると、上水道と下水道の効果を分析している本ペーパーでは、特に上水道と下水道の補完性、相乗効果を分析しています。マサチューセッツ州のボストン地域を対象として分析した結果、実際に片方の導入だけでは乳幼児死亡率はそこまで下がらないが、両方入ると下がることが示されています。これは途上国の文脈でも結構言われていることで、例えば、下水側のトイレを建てただけでは下痢が減らないことがあるのは、それは上水側の飲水の問題があるからと言われます。おそらくこの援助業界で言われているアイディアから、先進国の歴史の事例を分析しようと思いついたのではないでしょうかと推測します。

最後に本ペーパーの貢献として、インフラの効果を説得的に示していることが挙げられると思います。開発経済学の水・衛生の研究だと、村レベルの分散型の技術(浄水フィルタ、トイレ等)の研究が多いですが、インフラを対象にした研究は少ないです(識別戦略的に難しいため)。そこで、より歴史があって長期間のデータが整っている先進国でインフラの効果を分析しようとしたのでしょう。

識別戦略

識別戦略は差の差分法でシンプルです。処理(Treatment)の変数は、ボストン地域の自治体レベルで、上水インフラ、下水道インフラ、上下水道インフラ双方がそれぞれ導入されたことを反映するもので、インフラ導入自治体では導入年から0から1にスイッチするようなものです(インフラ未導入自治体では0のまま)。いわゆるStaggered DIDですね。最近このDIDの問題を指摘する計量経済学のペーパーが出てきて、対処することが増えている気がしますが、この論文はその前に出ているので、それらのチェックは見当たりません。

本ペーパーの良いところは、インフラの導入順番は技術的な制約(自治体の河川沿いの位置や標高等)に基づいていて、各自治体は導入タイミングを自分で選択したわけではないというストーリーに基づいて、処置タイミングにおける内生性の懸念が少ないことを主張しています。また、処置の有無に関わる内生性の懸念については、データに基づき、インフラ導入前の時期で、インフラ導入無しの自治体とインフラ導入ありの自治体で、乳幼児死亡率や他の属性変数で統計的に有意な差異がないことを確認しています。

イベントスタディーで、処置前の並行トレンドが満たされているかも確認されていて、プロット上で綺麗なグラフになっています。今回はTreatmentが3つある中、上下水道の総合的な効果を見るために、3つの係数が合計されたプロットもあるのも、勉強になりました。また、その際に、1年ごとのデータを使うとサンプル数が少なくてパワーが足りないので、2年毎のビンにまとめて分析しているのも勉強になります。かなり長い年数のデータがあるのでできたことだとは思いますが。

データ

データは、マサチューセッツ州のボストン地域の人口動態統計 (vital statistics)を使っています。1870年から1920年まで自治体レベルで、毎年の出生、死亡が記録されているものですが、一部の時期は郡レベルでしか報告されていないようです。そこで、Family Searchと呼ばれるサービスの死亡記録も使って補完してます。そこから乳幼児死亡率が計算されています。

このように百年以上前から自治体レベルでしっかりとデータがあるのはすごいですね。だからこそ、ボストン地域を対象にしたのかしれませんが。日本でもこういったデータはあるんでしょうか・・・誰か知っている方がいたら教えて下さい。

また、処置のタイミングのデータは、マサチューセッツ州やボストン地域の各行政期間の年次報告書から作成したそうです。これは結構手間がかかりそうですが、なんとかなりそうですね。

結果

上記でも既に述べているため再掲となりますが、上水道と下水道インフラは補完的で、両方が導入されると、乳幼児死亡率が低下したことが示されました。また、乳幼児死亡率の原因別に見たところ、水感染症由来の胃腸系の疾患による死亡率には影響があった一方、結核等関係ないものによる死亡率には影響がありませんでした。

意見:

  • 差の差分法の分析のお手本

以前紹介したXuのペーパーと同様に、差の差分法の分析を研究に使うときにどう分析するか、そしてどう頑健性をチェックするか、お手本のように記載されているペーパーでした。本ペーパーの、Event studyの綺麗なグラフは必見です。

  • 本研究の結果がどう役立つのか

結論としては、水道インフラと下水道インフラを両方一緒に入れましょうということですね。 途上国で以前仕事した経験から、やはり途上国はまず飲水で水道インフラの普及率を高めて、その後環境意識が高まってきたら下水道インフラを増やしていくという段階的なアプローチを取る傾向がある気がしますが、健康の影響を考えると同時に一気に進めるのが良さそうです。

とはいえ、現実的に途上国がODA案件で借款額を無制限に増やせない中、ODA案件のプライオリティを考えないといけない中、水道インフラにまず専念するのは理解できそうです。水道インフラと下水道インフラをセットで入れるとなると、それでかなり予算を使うので、導入できる都市が限られそうです。それよりは水道インフラだけに限定して導入する都市を増やすという戦略も良さそうです。現実的にどう途上国で実施するかは難しいです。

他方、都市部向けのインフラではなく、農村部向けの分散型な技術だったら、そこまで高くないですし、飲水と排水の処理を一体型で行うことは進めていく必要があると思います。

最後の一言

今回も最後まで読んでくださってありがとうございます!

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ありがとうございました。

元橋

コメント

鈴木:

とても面白い記事でした! 個人的に水関連の研究には詳しくないので、とても勉強になりました。

「先進国の歴史的な事例を研究することで現在の途上国の問題へのインプリケーションを考える」というのは最近活発な分野なのかなという印象です。 日本の過去の事例を用いた研究も、例えば有本先生らが明示的にされていて、例えば近代日本の米市場における米穀検査と標準化について考察しているこの論文などがあります。 日本人という立場から開発経済学という分野へ貢献するという意味で、こういうアプローチも面白いなと思います。

特に論文への批判というわけではないですが、こういった水道インフラが途上国で実際に整備されるまでの過程は単純ではないよなーとふと思いました。 費用の負担や土地権利関係といった整備前の問題、さらにメンテナンスの負担などの整備後の問題があり、これらがクリアされて初めて長期的に人々の健康を改善することができるのだと思います。 その意味で、制度的なキャパシティの小さな途上国でこれらがどれだけクリアされるのか、ひいてはこの論文のインプリケーションがどれだけ現在の途上国の問題にアプライできるのか、ちょっと疑問に思いました。 ただ、こういった問題はむしろミクロ的なアプローチで実証研究がすすんでいそうなので、そのあたりの研究結果が気になるところです。

中村:

上水と下水の健康に対する補充性という着眼点、興味深いですね。ただ少し思う点は:

  • 差の差分法で下水、あるいは上下水道両方のインパクトを測定しているのだけれど、例えばその他の政策との相乗効果はあったのか?幼児の死亡率が減少の傾向にある、というコンテクストの中でのインパクト測定なので、たとへば同時進行の政策などが存在していたから「こそ」上下水道のインパクトがあったかもしれない、みたいな仮説も見れれば面白い。
  • 今回の因果関係の中でのメカニズムに関しては、複数の病原体の種類をアウトカムにして、どこに効用があったからおそらくこういうメカニズムが働いている、というのは公衆衛生の実証の中では結構取られている類の論理展開だとは思うのだけれど、私個人としてはどうしてもCircumspectiveな感じが。もう少し正面から反証できる手法がある気がする。
  • この類の研究で大事だと思うのは政策提言であったり、その手前の効果対費用などの測定だと思うのだけれど、最後にback-of-the-envelope的な計算のみ。また直接的な乳幼児の健康のアウトカム以外にも影響はあるかもしれないと語っているけれど、その辺にもう少し重点を置いてデータ収集、インパクト測定できたのでは。

特に最後の点に関しては、本橋さんもおっしゃったように現在の途上国のインフラ設備をどう行うかとの問題に直結すると思うのですが、若干Implicationは不明確な気はします。「途上国のインフラ設備と直結するこういう事例があるよ!」と言いたいのであれば効果対費用についてはもう少し掘り下げていく必要があると思いますし、検証結果の外的妥当性についても詰めていくことが大事だと思います。逆に「現在のインフラ設備にはあまり突っ込めないけど、過去の保健政策は政治体制やInstitutionのバックグラウンドなど含め大きな流れがあって、その中で上下水の両方完備が大事だったということがわかったよ!」という趣旨なのであれば、もう少しボストンや過去の先進国の政治体制やInstitutionとの関連性について知りたいと思いました。

渋谷:

上下水インフラはどっちかではなく、セットで導入することで乳幼児死亡率の減少に繋がるというのがきれいにグラフに出ていて、おもわず拍手したくなりました。笑

乳幼児死亡率はとても大切なアウトカムですが、個人的にはこの様なインフラ政策が人の時間の使い方をどの様に影響し、それを通して生産性にどの様に影響するのかとても興味があります。 論文のコンテクストだと、time use dataは流石になさそうですが、途上国にて現在インフラ整備が行われている事を利用し、インフラー>時間の使い方ー>社会・経済への影響みたいな研究をするのも面白そうですね。

水やインフラ系の論文は自分から進んで読むことが無いので、とても興味深かったです。ありがとうございます!

文献:

Alsan, M., & Goldin, C. (2019). Watersheds in child mortality: The role of effective water and sewerage infrastructure, 1880–1920. Journal of Political Economy, 127(2), 586-638.

Written on June 10, 2021