Lowes and Montero (2021):医療への不信に関する歴史経済学の話

皆さんこんにちは。コロナウイルスの感染第4波の中、日本でもワクチン接種のペースが6月中旬現在で1日平均70万回弱まで上昇してきています。今後の国内での感染拡大を防ぐためには少なくとも人口の大多数がワクチン接種などによる免疫取得が必要であると言われています(注:コロナウイルス 感染に関するリスクやワクチンに関する詳しい情報は厚生労働省などの公的機関からの情報をご確認ください)。過去数ヶ月はの輸入量の不足や配送の遅れなど供給側の問題が(特に1ヶ月後に迫ったオリンピックへの懸念とともに)目下の課題として取り上げられてきましたが、供給制約が緩和された国(アメリカやイスラエルなど)では、いまだに接種していない人々にどう接種を促すか(つまり受容側の問題)が課題となっています。日本もワクチンに対する不信感を抱く人々の割合が高いとされ、過去にも新三種混合(MMR)やHPVワクチンなどに対する副作用がメディアで大々的に取り上げられた結果、接種の推奨が中止され、子宮頸癌においては避けられたはずの患者や死者が発生するだろうとの研究も出ています。

コロナワクチンにおいては今後(恐らく)供給側の問題が解決されていく中で、接種を躊躇っている人達にいかに接種を促すかが公衆衛生の課題となっていくという仮定のもと、今回は経済学の知見の中で「医療制度に対する不信はいかにして生まれるのか」というテーマの研究を紹介します。直接的にコロナワクチンと関連する内容では無いのですが、予防接種を躊躇する理由の根底の一つとしての「不信」について掘り下げてみよう、という趣旨です。この先の課題として「コロナワクチン接種を躊躇する理由が色々あるにしろ、いかに接種を促すか」という論文も行動心理学などの研究であるのでそちらも今後紹介していければと思っています。

概要

今回は「フランス帝国の植民地での病原菌対策が現地の住民の近代医療、あるいは公衆衛生制度、介入に対する不信を生み出した」ということを立証したLowes and Montero (2021, American Economic Review)のThe Legacy of Colonial Medicine in Central Africaについてまとめます。コロナとは直接関係ない経済史の論文ですが、「現代医療に対する不信」という点をしっかりついている上、現在の保健制度に影響する話もあるのでご了承ください。

趣旨

この論文はまず現在のアフリカにおいて医療への不信感や医療機関の使用率が低い、という事例から始まります。恐らくその他の要因や内生的なファクターもあるのでしょうが、外生的な歴史的背景を掘り下げていくと突き当たる一つの点がフランス帝国の植民地下での病原菌対策が、かなり過激であった(速い話が結構やばかった)という事です。西アフリカを植民地支配していたフランス帝国は睡眠病などの疫病の蔓延を危惧し、1920年代に大規模な公共衛生介入を行いました。軍隊によって設置された衛生班が農村部を周り、強制的に人々に(比較的精度の低い)検査を受けさせ、陽性と判断された人々には強い副作用をもたらす(例:20%の摂取者に失明を起こす)砒素ベースの薬などを使った治療を施し、その後も効用がないにもかかわらず他の副作用の強い治療などを続けました。多くの西アフリカの人々にとってそれが近代医学に触れる最初の機会でした。(経済学あるあるかもしれませんが)歴史学や人類学ではこのような植民政策が医療に対する不信感を生んだ可能性において先行知見があり、それでは統計を使って経済学として因果関係を紐解こう、そしてこれらの歴史的背景が現在の医療介入の効用に影響しているのかを測定してみよう、というのが少なくとも表面的な趣旨です。

データ、分析手法

実証分析の手法は、まず大まかな相関をまず見て、そのあと因果関係をInstrumental variable approachで紐解く、という流れをとっています。その前にデータの話を少ししたいのですが、このペーパーの貢献(凄いところ)はフランス植民地政府衛生班の行動履歴を歴史資料から引っ張り出し、まとめ上げて、場所・年レベルでのパネルデータ構築をしているところです。データ収集作業の概要がアペンディックスに載っているのですが、何百冊もの膨大な量の資料からサブディストリクト単位のデータを毎年分入力するなんて経済歴史をやらない私にとっては考えただけでゾッとするのですが、どこかでロマンも感じられるような(笑)。その他はDHS、Afrobarameter、気候や地理に関するGISデータ、先行研究の中で作成されたデータなど、結構メジャーなものを使っている感じはします。(このアペンディックス、例えば学部生さんなどがアフリカや途上国のデータを探す時に役に立つかもしれません!)これらのデータからメインのアウトカムで1)予防接種率と2)匿名HIV検査のための指刺し血液検査の拒否率を使用しています。

因果関係を紐解く上で、フランス植民地政府の介入パターンの中に外生性を見つけ出す必要があります。先行研究などで取られている理想的な手法は、ツェツェ蠅の蔓延度(Alsan (2015))なのですが、残念ながら今回のフランス領西アフリカのサンプルの中ではこの指標の変動の幅があまり有りません。その為代わりにツェツェ蠅の蔓延度の認識と相関があるであろうと思われていた地理的なファクターである、カッサヴァの農耕地の割合を代わりに介入パターンの外生性のInstrumentとして使用という手段をとっています。

(ちなみのこのAlsan (2015)の論文、このブログでも鈴木さんが過去に取り上げているのでそちらの記事もご覧ください。)

検証結果、そして分析手法に関する考察

まず相関関係においては予防接種、血液検査の拒否の両方のアウトカムと植民地政府の保健介入との強い結びつきが伺えます。相関の規模は、医療班が例えば1920年台後半から1950年台の中で15年訪問した地域はワクチン接種率が5%ポイント(ベースが50%ほど)低く、血液検査の拒否率が5%ポイント(ベースも5%ほど)高くなるレベルです。Instrumental variableを使用した因果関係の測定においても同様、あるいは1.5倍ほど大きい介入効果が見受けられました。このブログでは詳細を紹介しませんが、最近メジャーになってきた機械学習を使ったControl variablesの選定をしたモデルなども使用しており、従来のモデルと似通った結果が出ています。

分析手法に関して言えるのが、潜在的な問題として「カッサヴァに有利な地理が直接ワクチン摂取率や血液検査への合意に影響しているかもしれない」という点です。そこで何らかの反証を行う必要があるのですが、筆者はサンプルに含まれているカメルーンはイギリス領であった地域とフランス領だった地域両方がある点に注目しています。上記のアグレッシブな保健介入はフランス、ベルギー領で主に行われ、イギリス領ではそのような政策は取られていなかったそうです。筆者は表4において、Instrument variableを使用した分析をイギリス領であった地域は有効でなかったことを示し、先の潜在的問題に対する反証としています。

筆者らは他にも現在の保健政策への影響、及び因果関係のメカニズムについても言及しています。過去の政策が現在の政策に与える永続性においては世界銀行の援助プロジェクトの成功をアウトカムとして検証しており、保健衛生のプロジェクトへは負の相関があるが、その他のタイプのプロジェクトとは無いことを立証しています。またメカニズムに関しては「植民地かの医療政策の影響は医療に対する不信感か、それとも一般的な(公共サービスに対する)不信感か」についても検証し、アフロバラメターデータによるとどうやら前者であることが確認されています。以上の2つのエビデンスは、人々の信念は他の政策分野に波及しないのであろうという見解でまとまっており、興味深いです。他にも「医療に対する不信感は民族内で伝達するのか、あるいは民族間でも伝達しうるのか」という点も検証されており、どうやら民族内、間両方伝達しているとの結果です。

現在の保健政策や人々の信念に関する含意

今回の論文の検証結果のtake-awaysは

  1. まずメインの点である、過去のトラウマや誤った政策は人々の保健政策への不信を生む、という事の実証
  2. 少なくともこのような不信は他の政策分野へは波及しないであろうと思われること(ただ今回立証できなかったからと言って他のコンテクストで起こらないとは限らない)
  3. この不信は永続性、少なくとも世代間や社会間の伝達があるので、誤った政策の負の影響は派生する可能性がある

の3点にまとめられるかと思います。この論文の見解の外的妥当性においては、例えばアメリカのアフリカ系人口に対する医療実験(Tuskegee Syphilis Study)やパキスタンでのワクチン接種プログラムをカモフラージュにした米軍の作戦などのコンテクストでも実証がされています(Alsan and Wanamaker (2018)、Alsan, Garrick, and Graziani (2019)、Martinez-Bravo and Stegmann (2017))。ポイント2、3においても、さらに他の環境下における研究と掛け合わせることによりもう少し一般化した見解が得られるのではと思います。

そして、環境は少し変わりますが今日のコロナワクチン に対する信頼や需要に関しても、今回の論文の見解から考えさせられる点がいくつかあります。第一の懸念は、過去の事例や事故によって保健政策に対して広まった不信、及びその派生が現在の人々のコロナウイルス ワクチンへの需要や信念へ影響を当て得ているかもしれない点です。近年の他種のワクチンに関するセンセーショナルなニュースやフェイクニュースなどが社会に長期的に与える影響を加味した広報や対策も重要であろうと思われます。その第一歩として、日本の場合現状のコロナワクチン に対する不信感についても体系立てて測定されているのか興味があるところです。そして今回の論文では触れられなかった点でありますが、不信や不安を払拭するための情報提供の効用の速度や持続性についても検証してゆくべきであると思われます。最後に念のため注釈しますが、これらの見解は私(中村)個人のもので、今回の論文の作者や私の所属している団体のものではありません。

最後の一言

今回も最後まで読んでくださってありがとうございます!

本ブログ記事に対するご感想や、本ブログ全体に関わるご意見などがあれば、econ.blog.japan@gmail.comまでご連絡ください! Twitterでの本ブログのコメント・拡散も歓迎です。その際は、#econjapanblogをお使いください。

ありがとうございました。

中村

コメント

元橋

とても示唆に富んだペーパーだと思いました。

今日のコロナワクチンの不信を含めて、不信というものは広がりやすく、歴史的に継続しうるものですので、政府として不信にどう対処していくかが大事そうですね。

近年の日本のHPVワクチンや現在のコロナワクチンについては、メディアが副作用を拡散することで、人々の不信感が募るなど、メディアが大きな影響を与えていると感じます。他方、本論文のように今ほどメディアが発達していなかった過去においても、不信が発生し、その昔の記憶が代々受け継がれて(実際に語り継がれるものなのでしょうか?)、現在までも不信が残るのは面白いなぁと思います。おそらく「強制的に」介入したのがトラウマを生んだからでしょうね。

そこで、現在のワクチンなどの政策は、植民地時代のような「強制性」はあまりない一方、メディアによって不信の情報に広く触れやすいですが、その場合、本論文のように将来的に不信が続いていきやすいのか、気になるところです。メディアの発信内容はどんどん入れ替わるので、人々の考え方がどんどん変わっていくのか、一度持った不信はなかなかなくならないのか。

そういえば、近い研究として、アジア成長研究所のPramodさんは、最近のWPペーパー:Understanding the Puzzle of Primary Health-care Use: Evidence from Indiaで、インドで1970年代に政府の人口抑制計画の一環で強制的に行われた女性の避妊手術が、現在の公的医療の使用率を下げることに影響を与えていることを示しています。このようにやはり「強制的」な政策はトラウマとなり、現在まで語り継がれて、現在の行動に影響を与えるんですかね。

鈴木

とてもおもしろい論文でした! 最初に中村さんがおっしゃられているように、コロナのワクチン摂取への示唆に富んでいて、タイムリーな記事でしたね。

すでに指摘されていますが、私も「不信や不安を払拭するにはどうすればいいのか」という点が気になりました。 特にワクチン接種には正の外部性もあるので、なにが不信の原因でどうすればそれを払拭できるかは重要な問いだと思います。 また、「どの程度のイベントで不信や不安が植え付けられるか」にも興味があります。 今回の論文の事例では植民地時代の過激な医療政策が考えられていますが、フェイクニュースやSNS上の誤った情報といった比較的小さなことからも不信や不安が生じ、それが人々の行動に影響を与えることもあると思います。 特に今日重要なテーマなので、より研究が進めばいいなと思いますし、おそらくちゃんと研究が進んでいるのでキャッチアップしていきたいなと思います。

渋谷

タイムリーなトピックの論文紹介ありがとうございます! 私も南部の田舎に住んでいる事も有り、コロナウィルスワクチンに対する不信感は非常に興味があるトピックです。

皆さんがおっしゃる通り、不信の原因追求と解決がきっても切れない仲だと思います。 この点から考えると、過去に起こった出来事がどの様に次世代に情報として伝わるのか個人的にとても興味があります。 もちろん、本論文が扱う事件はそんなに昔の出来事ではないので直接経験した人が生きているはずですが、その人たちから彼女たちの子孫に不信が伝達するのか分析するのも、問題解決に役にたったりするのかなと思います。

少し話が外れますが、Sara Lowesさんの研究すごく面白いですよね。彼女はコンゴ民主主義共和国におけるお呪い等を含む文化が信頼にどの様に影響するか分析したりしています。興味ある方は是非彼女のウェブサイトから論文を見てみてください。

文献

Alsan, Marcella, and Marianne Wanamaker. “Tuskegee and the health of black men.” The Quarterly Journal of Economics 133.1 (2018): 407-455.

Alsan, Marcella, Owen Garrick, and Grant Graziani. “Does diversity matter for health? Experimental evidence from Oakland.” American Economic Review 109.12 (2019): 4071-4111.

Lowes, Sara, and Eduardo Montero. “The legacy of colonial medicine in central africa.” American Economic Review 111.4 (2021): 1284-1314.

Martinez-Bravo, Monica, and Andreas Stegmann. “In vaccines we trust? The effects of the CIA’s vaccine ruse on immunization in Pakistan.” Journal of the European Economic Association (2018).

Sur, Pramod Kumar (2021). Understanding the Puzzle of Primary Health-care Use: Evidence from India. arXiv preprint arXiv:2103.13737.

Written on June 13, 2021