Montero and Yang (2020): Religious Festivals and Economic Development: Evidence from Catholic Saint Day Festivals in Mexico

このブログでは、1月は「祭り、慣習、宗教」に関連した論文を紹介しています。 興味がある方は、渋谷さんによるインドの結婚式に関する論文の紹介記事元橋さんによるプロテスタントの医療伝道の長期的影響についての論文の紹介記事も合わせてご覧ください! 今回は、Montero and Yang による「宗教的なお祭りと経済発展の関係」についての論文を紹介します。 まだワーキングペーパーですが、論文はこちらでご覧になれます(PDF注意)

クソみたいな余談ですが、少し前に私の学部で行われたセミナーで、「Montero と Yang が書いてる論文でね、こういうのがあってね、あなたの論文のこの結果とこういう風に関係してるよ」とこの論文を引用しながらコメントをしました。 後日、その発表者のCVを見てみると、別の論文で最近Monteroと共著をしていることがわかり、「うわー、この人絶対このMontero and Yangの論文知ってたやん、長々と語ってしまったのアホみたいやん」と顔から血が出るほど恥ずかしくなりました。 忙しくてもセミナーの発表者のCVくらいは事前にチェックすべきですね(当たり前だ)。

概要

お祭りや儀式は世界中のいたるところで様々な形で行われており、人々は多くのお金や時間をそれらに費やします。 日本で言えば、結婚式や成人式がそれに当たると言えるでしょう。 しかし、「こういったお祭りや儀式が人々の生活にどのように影響するか」というのはよくわかっていません。 例えば、「お祭りでコミュニティの結束を高めて、困ったときに助け合える関係を築く」というメリットがあるかもしれませんし、「お祭りにお金をつかったせいで自分のビジネスに投資できなくて生産性が低いまま」というデメリットがあるかもしれません。

しかし、お祭りの影響を分析するのは様々な理由で困難です。 例えば、結婚式の影響を調べたいにしても、結婚式をした人としなかった人では性質がまったく異なり、「結婚式を行う」というトリートメントが内生変数となることが考えられます。 また、ある村単位で行われるお祭りの効果を調べようとしたときも、どの村でお祭りが行われるかは村の性質に依存すると考えられ、またも内生性の問題が生じることになるでしょう。

そこでこの論文では、メキシコのCatholic saint patron day festival というお祭りのユニークな性質を用いて内生性の問題を回避し、宗教的なお祭りに関する因果推論を行っています。

Catholic saint patron day festival

メキシコを含むカトリック系の国では、それぞれの街が自分たちの「saint patron day」を持っていて、その日に大規模なお祭りを行います。 このお祭りがどの日に行われるかは、「街を守る聖人が誰なのか」によって決められ、「どの聖人がどの日に対応しているか」はバチカンが定めています(「成人の日ならぬ聖人の日ですね」と思ったあなた、帰ってよし)。 例えば、 St. Arcadius という聖人は1月12日、 St. Fructus という聖人は10月25日、といった具合です。 お祭りにはご飯やら音楽やら諸々お金がかかり、その規模は慣習で決められていることが多いですが(そのため年ごとに規模が変動することは少ない)、人々にとっては大きな出費となります。

このお祭りは入植者が持ち込んだもので、人々のカトリックへの改宗を目的としていました。 そして、どの聖人をお祝いするかは、多くの場合入植者が街を作った段階で決められました。 ここで重要なのは、この選択は(ざっくり言ってしまうと)ランダムな要因で行われたという点です。 例えば、多くの街では「もともとその地域で信仰されていた神様となんか似てるね、よし、この聖人に決めた!」みたいな感じで決められていました。(背景には、もともと信仰されていた神様と近い聖人を選んだほうが改宗しやすい、という意図があったようです。) 他にも、くじによって文字通りランダムに聖人を決めたケースもあったそうです。 そのため、「この聖人にするとこの日にお祭りを行うことになるから…」といった意図に基づいて選択が行われたことは少なく、それぞれの街で「どの日にお祭りがあるか」はほぼランダムに決められたと考えることができます。

分析

この Saint patron day festival の日が街によって異なり、かつ外生的に決められているという点を生かして、この論文では「農期とお祭りの日が被ったらどうなるか」を分析しています。 例えば、お祭りに大きな出費を割かなければならない農家は、もし信用制約に直面していたら、農業投入を減らさなければならず、農業産出量は低下するかもしれません。 あるいは、(論文ではあまり議論されていない点ですが、)お祭りの準備に労働力を奪われることにより農作業への労働投入が減り、生産量が減るということもありえます。 さらに、これらの理由で農業が発展しないと、街全体の経済発展が遅れる可能性もあります。

これらを念頭に、この論文では「農期とお祭りの日が被っている街では経済発展が遅れているか」、また「これらの街での農業生産性は低くなっているか」を分析しています。 もちろん重要な仮定は、お祭りの日が外生的に決まっているため、農期とお祭りの日との関係も外生であるということです。 ちなみに、お祭りの日のデータは街のホームページにいったり電話で聞いたりして集めたそうです。

大まかな分析の結果は以下のとおりです:

  • 植え付けの直前、収穫の直後にお祭りがある街では経済発展が遅れている
  • これらの街では、農業従事者の割合が大きく、サービス産業従事者の割合は低い
  • これらの街では、とうもろこし(メキシコの主要な農業生産物)の生産性が低い

ここで、「お祭りが経済発展に悪影響を与えているのなら、どうしていまだにこのお祭りが行われているのか」という疑問が生まれます。 論文では追加の分析で、農期とお祭りの日が被っている街ほど人々の宗教性(religiosity)が高いという結果が得られています。 筆者らは「所得が高い社会ほど宗教性が低い」という先行研究に見られる関係を使って、「お祭りの日と農期が被っている→経済発展が遅れて貧しい→宗教性が高まる→より多くお祭りに出費する→より経済発展が遅れる→より宗教性が高まる」という悪循環が起こっているのではないかと推察しています。

感想・コメント

お祭りのユニークな性質を生かしたとてもおもしろい論文だと感じました。 この分野での因果関係を特定した研究は本当に少ないので(主に最初に述べた内生性が原因だと思います)、分野への貢献の大きい、貴重な論文だと思います。

特に気になった点で言えば、この論文では人の移動についてはあまり考えられてはいませんでした。例えば、農期とお祭りの日が被ってしまっている街からは、経済発展の遅れから人が離れていってしまうかもしれません。そうだとすると、貧しく街を出るための資金のない人はより敬虔という関係が成り立つ場合には、論文の宗教性の分析で見られたような結果が得られることになります。

また、これは論文そのものへの批判ではないですが、ここではトリートメントの単位が「街」なので、個人・家計レベルの儀式やお祝い事が人々の生活にどう影響するかの分析は行なえません。 (かなり強引な宣伝で恐縮ですが、)私の行っている研究では、ラテンアメリカの文化である、quinceanerasという15歳の女の子が行うお祝い事を用いた分析をしています。 この研究を通じて、家計レベルでのお祝い事が他の家計との関係をどう変化させるかなど、この論文では分析していない部分まで踏み込めたらいいなと思っています。

最後の一言

今回も最後まで読んでくださってありがとうございます!

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ありがとうございました。

鈴木

コメント

渋谷

とっても楽しい論文の紹介ありがとうございます!街に対する聖人ってそんな適当に決められてたのですね。笑  神道とかだと、その地域の守り神やお祝いの日は完全に内生変数ですが、植民地政策xカトリック教会ならではの識別方法ですね。 慣習が生まれた背景を知っていると、良い識別方法に出会えるかもしれないという良いレッスンですね。

一つ疑問におもったのが、街に与えられた聖人とお祭りの日はいつの時代も一緒だったのでしょうか? または、「街」という地理的単位は聖人祭の日が決めたれた時から変わらないのかなーと疑問に思いました。

全く関係ないですが、数年前日本に住んでいた時「聖☆おにいさん」という漫画が好きでした。

元橋

1月のテーマにぴったりな論文ですね!とても面白い論文でした!実証に使える上手い状況をよく見つけてきたなぁと思いました。著者のどなたかがメキシコに詳しいのでしょうか、Monteroさんがメキシコの大学出身なのか確認しようとしたら、学部はStanfordのようですね。

入植者が持ち込んだ日が外生的なのは歴史的に言えそうですが、クロスセクションの分析なので、実際にCausalな分析になっているのか、説得的に示すことができるのか大変そうに感じました。色々とテストをしていましたが、Event study的に、何日前まで遠ざかると影響が見られなくなるのか、見るやり方は良いと思いました。

あと、単純にsaint patron dayにはどのくらいお金をかけるものなのか、そして農家は貯蓄をすることで悪影響を回避したりできるのか気になりました。

中村

鈴木さんの研究対象のエリアの論文だったので楽しく読めました、ありがとうございます!この様な植民地政策がもたらした外生性に関する論文、因果関係に関してはクリーンな感じを受けるので(歴史的には残念かもしれないのですが)好きです。

私が読んでいて思った内生性の可能性は、もし植民地、布教以前の土着のお祭りと、布教後カトリックのお祭りのタイミングに相関があったらまずいのではとの点です。土着のお祭りのタイミングをコントロールできていれば問題はないのですが、もしそうでないのであれば例えば「土着のお祭りのタイミングとアウトカムとに相関がある→カトリックのお祭りが土着のものと同じ様なタイミングで入る→カトリックのお祭りとアウトカムとに相関が生まれる」の様な問題が起こる気が…?特に「この辺の人この季節にお祭り好きだよね、だから聖何々さんの日にする?」みたいなことを宣教師が思っていたかも?

あとはお祭りのタイミングと信仰の強さも、上の様な相関があれば問題だと思いますし、動的、と言うか均衡の問題で「農期にお祭りをするには相当根本的に信仰心が強くないとやっていけない。ランダム、かつ何回かのトライアルエラーがあるお祭りの時期決定のプロセスの上で、農期とかぶるお祭りを保持できたのは信仰心が強い地域だけで、他の地域は農期とかぶるお祭りを与えられたとしても定着しなくて、結果他の期間のお祭りをすることにした」みたいなプロセスがあるかもしれません。

文献:

Montero, Eduardo, and Yang, Dean (2020). “Religious Festivals and Economic Development: Evidence from Catholic Saint Day Festivals in Mexico,” mimeo

Written on February 1, 2021