認識のズレが行動に与える影響:教育のリターンの認識を例として

今日は、イェール大のJensenさんのQJE論文”The (perceived) returns to education and the demand for schooling”について話したいと思います。 論文はこちらからダウンロードできます。

こちらの論文は開発経済学のField courseで初めて知ったのですが、そのときに、なんと面白い論文だろう!と興奮した記憶があります。

人々は情報が完全に得られない場合(大半のケースはそうでしょう)、ある行動を規定するコスト、リターン、リスク等の認識値が、実際の値からずれることがあります。実際の値の情報を提供してこのズレをなくすことによって、教育に関する行動が変わるのか、検証されています。色々文脈で当てはまる議論を、そのズレが顕在化しやすい発展途上国で効果的に示せていると思います。

本論文に少し影響を受けて、私はインドにおいて、トイレの維持管理コスト(限界費用)の認識のズレ(=過大評価)が、トイレの利用に与える影響について研究しようとしています。宣伝になりますが、現在フィールド実験の費用を集めるためにクラウドファンディングを実施しています(インドの屋外排泄の撲滅に開発経済学で貢献したい!)。ご関心あれば、ご支援お願いします!

ちなみに、同じくJensen先生の“The digital provide: information (technology), market performance, and welfare in the South Indian fisheries sector”のQJE論文も大好きです。こちらも価格等の情報の役割について研究されています。今度はこちらを紹介しようかなと思います。

概要:

本論文は、ドミニカ共和国の8年生を対象として、教育の認識リターンが実際のリターンより低いかどうか、そして実際のリターンの情報をランダムに一部の学生に提供すると、その学生の教育年数が増えるかどうか、検討している。発展途上国では、あまり賃金の情報が行き渡ってなかったり(自分の身の周りの人の情報しかわからない)、学校での進路相談でアドバイスがあまり受けられなかったりするために、認識リターンが低くなる可能性がある。他方、先進国では、日本で大卒・修士・博士ごとに年収が平均いくらかという話がよく話題になるように、賃金に関する情報が色々と行き渡っているので、ズレが生まれることが少ないだろう。ただ、先進国であってもインターネット普及前の地方部ではこうした同様のズレがあるかもしれない。

どのように認識リターンと実際のリターンを把握したのだろうか?認識リターンについては、(a)自分が、小学校/中高/大学のそれぞれの教育を終えると、30-40歳でどれほど収入が見込めるのか、(b)一般的な男性が、同じケースでどれほど収入が見込めるのか、聞いている。(a)と(b)と分けて質問を聞くことで、労働市場の賃金レベルに対する情報が欠けているのか、もしくは、自分の置かれている環境によって賃金レベルが影響を受けるといった信念・情報を持っているのか、分けることができる。この工夫は素晴らしいと思った。

ただ、論文で指摘されているように、”Expected” earningのExpectedは何を意味するのか(MeanかMedianかなど混在している可能性あり)、Uncertainityを考慮していないなど、制約はある。こうした主観的な情報を取るのはかなり工夫が必要だろう、もっと最新の研究では、どのように上手くBeliefをEliciteしているのか気になる。何か参考になる文献があればコメント欄で教えていただきたい!また素朴な疑問だが、こういうのは行動経済学の分野の話なんだろうか。。

実際のリターンについては、RCT実施前の別調査データを元に、小学校/中高/大学の間でどれほど収入の平均に差があるのか、算出した。もちろん平均の差を求めるだけではリターンの推定値にバイアスが生じるため、理想的にはIVなどを使った方が良い。しかし、情報提供する際にIVだと説明が複雑になるため(介入の効果が薄れる可能性がある)、平均値の差を提供することにした。たしかに、8年生向けの説明になるのでそうした配慮は必要になるだろう(実務的にも平均値の差を情報提供する方が望まれそうである)。

以上を元に、認識リターンと実際のリターンを比較すると、前者が極端に低い事がわかった。

そこで、RCTのデザインを用いて、実際のリターンの情報を提供することの効果を検証した。その結果、その情報を得た学生は他の学性に比べて、平均的に4年後に0.2-0.3年多く教育を受けている事が分かった。また、認識リターンも上がっていた。さらに、この情報の効果は貧しくない学生の間で大きく、最貧困層には効果がなかった(情報以外にも貧困やクレジットの制約があるため)。

意見・感想:

私が本論文で素晴らしいと思った点を挙げると、

  • 文章の書き方が上手
    • 簡潔に書かれていて、誰でも理解できるような読みやすい文章に仕上がっている(経済学を学んでいない人でも十分読みやすいだろう)。
    • イントロで研究のモチベーションの仕方など参考になった。
    • 経済学の研究だとテクニカルになって読みにくい文章になりやすいような気がするが、自分の研究ではこのような文章を目指したいと思った。
  • テーマの発展性
    • 冒頭でも述べたが、認識と実際の値のズレという他の分野にも示唆のある研究となっている。情報を与えてズレがなくなるだけで行動が大きく変わりうることを説得的に示せている。
  • 政策的なインプリケーション
    • 発展途上国の文脈で、安価な介入である情報がこれだけ行動に影響を与えることが分かったので、今後の発展途上国での教育政策に大きな影響がありそう。

また、本論文を踏まえた今後の研究課題について少しコメントしたい(既に色々と研究なされているかもしれない・・・)。今回の論文では、大半の生徒の認識値は実際の値より低かったケースであった。その場合は、介入の効果は予測しやすい。しかし、認識値が実際の値より高い人もいれば、低い人もいる状況があるかもしれない。その場合に、実際の値を提供する介入がどのように作用するか研究してみたい。

また、今回は情報へのアクセスが欠けていることが、認識のズレを生んでいるという論調だった。しかし、情報が完全にあったとしても、情報処理能力が違うことで認識のズレがそのまま残ることはないのか。認知能力や教育年数の違いによって、情報への反応にどう差がでるのか見るのも面白いと思った。

最後の一言

今回も読んでいただき、ありがとうございました!いかがでしたでしょうか?

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元橋一輝

コメント

鈴木:

少し本題から遠のきますが、 Oster and Steinberg (2013)はインドでIT関連の職場(主にコールセンター)ができた場所で子供の就学率が高まったことを実証しています。 これは教育のリターンが高まったことに家計が反応する(あるいは反応できる)ことを意味しており、今回の論文で示された「教育リターンの情報に家計が反応する」ことと整合的です。 ただし、効果の異質性についての分析で示されているように最貧困層の家計の子供は提供された情報に反応できていないため、ある意味ターゲットとしている層には効果が薄いという点は 興味深いなと思いました。 信用制約がある、あるいは児童労働に従事している、など別の要因が考えられ、これらへの介入が情報提供の効果の薄かった層に有効なのかを実証することが一つの方向性かもしれません。

ちょっと関連する論文で言えば、 Dizon-Ross (2019)は子供の学力に対する親の認識に関してマラウィで介入実験を行っています。 この研究では、子供の学力についての情報を提供することで親の誤った認識を正し、それにより教育投資に変化が見られたことが実証されています。 元橋さんがおっしゃっているように、情報に関する介入は安価である(というかmarginal costが低いので大規模な介入を行っても費用がそれほど増えない?)ことが予想されるので、この筋の研究は今後さらに増えていくかもしれないなと思いました。

ちなみに、記事の最後で言われている「教育年数と情報処理能力」について論じている古典的な論文の一つにRosenzweig (1995)があり、参考になるかもしれません。

余談ですが、記事冒頭で触れられていたJensen (2007) は私も大好きです。 論文のFigure IVは私がこれまで見た図の中で最高のものですね。

渋谷:

まず最初に。私もJensen(2007)の価格情報と漁師さんのお話大好きです。鈴木さんに完全同感です。Figure IVは本当にたまらないですよね。この論文を初めて読んだ時、この図がかっこよすぎて感動したのを覚えています。笑

この論文もとても面白いですね。私は特に女子生徒は将来働く可能性が低いと感じた為、フォーカスグループ時点で将来の収入期待値を算定せず、実際の実験サンプルに入れることが出来なかったという所に興味を持ちました。働く可能性が無いと感じるのは、本当に働かずいわいるフルタイムで主婦及び母親になるからなのか、いわゆる「仕事」と呼ばれる、主にフォーマルセクターでの就職をする可能性が無いと感じるからなのか。収入期待値だけでなく、将来にどんな職種につけるかに関する期待が学生による教育投資決断をどう影響するか検証するのも面白いかなと思います。特に、それが各業界ごとの男女別就業率と合わせて、期待値から乖離しているか見たり、人はどうやって就業決定をするのかとか考えながら研究すると面白そうですね。

中村:

Jensenさんのペーパー、どれもわかりやすく、かつ斬新ですごい好きです。情報介入の古典的な論文のである故かもしれないですが、『情報摩擦がある』という事実と『介入は効果を及ぼす』という点にフォーカスされているように見受けられました。逆に『何故摩擦があるのか』や『どのように情報が現状で伝達しているのか』というメカニズム、構造的な点についてはあまり語られていない(あるいは推論的な実証しかされていない)という印象です。もちろんその後の研究、特にOster and Steinberg (2013)の研究などでは地理が情報伝達に及ぼす影響について追求されているので、フォローアップとしてこのテーマについて掘り進めるのも面白いかもしれないと思いました。

Jensenさんの2018年のペーパー(Jensen and Miller (2018))もおすすめです。2007年の携帯電話のアクセスが価格情報、価格乖離に及ぼす研究と同じ場所で行われた続編のペーパーなのですが、今度は海産物の価格ではなく、漁業に使われる船舶の品質と価格に注目しています。携帯電話によってそれまでは隔離されていた漁業労働市場の結びつきが強まり、質の良い船舶を作る人々の情報が以前よりより多くの漁師に伝達され、そこまで質の良くない船舶を作る業者は淘汰された、という分析をされています。情報介入の短期的、あるいは直接的な効果だけではなく、その先の波状効果や新たな市場の均衡についても触れられているため、より『So what?』の点(何故経済学として大事な問題なのか、という点?)を突き詰めていると思います。いつの間にかJensen祭りになってしまいましたが(笑)、インスピレーションをもらう学者の方の一人です。

文献:

Dizon-Ross, R. (2019). Parents’ beliefs about their children’s academic ability: Implications for educational investments. American Economic Review, 109(8), 2728-65.

Jensen, R. (2007). The digital provide: Information (technology), market performance, and welfare in the South Indian fisheries sector. The quarterly journal of economics, 122(3), 879-924.

Jensen, R. (2010). The (perceived) returns to education and the demand for schooling. The Quarterly Journal of Economics, 125(2), 515-548.

Jensen, R., & Miller, N. H. (2018). Market integration, demand, and the growth of firms: Evidence from a natural experiment in India. American Economic Review, 108(12), 3583-3625.

Oster, E., & Steinberg, B. M. (2013). Do IT service centers promote school enrollment? Evidence from India. Journal of Development Economics, 104, 123-135. Rosenzweig, M. R. (1995). Why are there returns to schooling?. The American Economic Review, 85(2), 153-158.

Rosenzweig, M. R. (1995). Why Are There Returns to Education?”. American Economic Review, 85(2), 153-158.

Written on October 19, 2020