Food sharing in vampire bats: reciprocal help predicts donations more than relatedness or harassment

今日は Carter & Wilkinson (2013) “Food sharing in vampire bats: reciprocal help predicts donations more than relatedness or harassment”という論文を紹介します。はじめに断っておくと、これは経済学の論文ではありません。「ブログのコンセプトぶち壊しかよ!」という他のブログメンバーからの苦情が飛んできそうですが、無視することにします。 言い訳をすると、この論文では吸血コウモリの血を分け合う行動について分析しています。この研究を知ったときに開発経済学のトピックの一つである「リスクシェアリング」との関わりが深そうに感じ、両者の関係性を考えてみたいと思い今回の論文を選びました。

リスクシェアリングってなに?

この論文をより楽しむために、さっきから言っているリスクシェアリングについて知っておいたほうがいいと思うので、黒崎・澤田 (1999) (pdf注意)の例に基づいて説明します。 まず、ある村にAとBという二人がいて、それぞれランダムな所得を得るとします(例えば天候に影響を受ける農業生産を想定します)。AとBの所得は独立に決まり、50%の確率で0、50%の確率で10の所得が実現するとします。この場合、下の表のように所得の組み合わせ(カッコ内は(Aの所得、Bの所得)を表す)が、それぞれ25% (= 50% × 50%)の確率で実現します。ここで、貯蓄は行われないと仮定します。黒崎・澤田はこのような経済を「バナナ経済」と呼んでいます。

Aの所得 \ Bの所得
(10, 10) (10, 0)
(0, 10) (0, 0)

例えば、消費量が4を下回ると飢餓状態に陥ってしまうとします。その場合、もし自分の所得をもう一人と全く分け合わず自分だけで消費してしまう場合、50%の確率で消費量が4を下回ってしまう、つまり50%の確率で状態に陥ってしまうことになります。 しかし、AとBが二人の合計所得を半々に分け合うという取り決めをしたとしましょう。この場合、たとえ自分の所得が0であっても、相手の所得が10であればそれを二人で5ずつ分け合うことで飢餓状態に陥ることを防ぐことができます。そのため、飢餓状態に陥るのは二人の所得がどちらも0の場合だけとなり、その確率を25%にまで下がります。このような取り決めを「リスクシェアリング」といいます。 途上国でどの程度のリスクシェアリングが行われているかを分析した論文の一つに Townsend (1994) があり、インド農村でリスクシェアリングがよく機能しているという実証結果を得ています。リスクシェアリングに関する文献は Fafchamps (2011) にまとまっています。 このバナナ経済の例で重要な点として

  1. 貯蓄ができない:もし貯蓄ができれば、高所得が実現したときに次の期に備えて貯蓄できる
  2. 保険会社が存在しない: もし保険会社があれば、保険料を支払うことで、低所得が実現したときに飢餓状態に陥らないようにする契約を結べる
  3. AもBも取り決めを遵守する: Aが高所得、Bが低所得したとき、Aは「これをシェアするの嫌だな、独り占めしよう」とならない

などが挙げられます。

吸血コウモリの「リスクシェアリング」

ここで本題に戻って吸血コウモリについて説明します。ここにある動画や論文を参考にしていますが、もちろん私はコウモリの専門家ではないので、至らない点がありましたらご指摘いただけると幸いです。ちなみに、Carter and Wilkinson (2013) では common vampire bats というコウモリを分析していますが、以下では単に「吸血コウモリ」ということにします。

まず、吸血コウモリと聞くと、少なくとも私は動物をガブッ!と噛んで血をチュー!みたいに吸って獲物をカラカラにしてしまう恐ろしい生き物を想像してしまったのですが、実際は鋭い歯で家畜に傷をつけて、そこから出てきた血をペロペロするようです。ちなみに唾液には血の凝固を阻害する成分が含まれていて、それにより吸血コウモリは長い間血を摂取することができます。

吸血コウモリは日中は洞穴や木の中にいて、夜になると血を求めて外に飛び出します。しかし、いつでもお腹いっぱいになれるわけではなく、血を飲めないまま巣に戻る場合もあります。さらに、吸血コウモリは70時間血を飲まないと餓死してしまい、例えば狩りにたまたま失敗する日が2日続くともう命が危ない!という事態になります。当然、吸ってきた血はどこかで貯蔵するわけにもいきませんし、吸血コウモリ専門の保険会社も存在しません。

そこで、吸血コウモリたちは吸ってきた血を腹ペコな仲間に分け与えるという行動をとります。具体的には、腹ぺこなコウモリが仲間の顔をペロペロ舐めてサインを送ると、そのコウモリが「しょうがないなあ」と血をちょっと吐き戻して、それを腹ペコなコウモリが「ありがとー!」とペロペロする、という流れです。これにより、外で血を吸えなかった吸血コウモリも飢餓状態に陥ることを防ぐことができるのです。これは上でみた「リスクシェアリング」の構造にそっくりです。

Carter and Wilkinson (2013) について

上のような吸血コウモリ間の血のシェアは、いわゆる「血縁」間だけでなく、血の繋がりのない(あるいは薄い)コウモリ同士でも行われます。血縁間のシェアは「kin selection (血縁選択)」、つまり自分と近い遺伝子を持つ個体に利益になる行動をとる、という説明ができますが、非血縁間のシェアはこれでは説明できません。 そこでCarter and Wilkinson は「どうして非血縁間でシェアが行われるのか」という問題を考えました。彼らの論文以前では

  • 互酬性 (reciprocity):過去に自分に血をシェアしてくれたコウモリにお返しをする
  • だれにでも利他的 (indiscriminate altruism): だれに対しても優しくて血を分けてあげる
  • カツアゲ (harassment): 体が大きく強い個体が「おい、ちょっと血よこせや」とシェアを強要する
  • ミス (kin recognition error);本当は親族コウモリに血をあげたつもりだったけど、人違い(というかコウモリ違い)で血のつながっていないコウモリに血をあげちゃった

という可能性が指摘されていました。そこで著者らは、どのコウモリ同士でシェアが行われるかを観測することで、どの説明が説得的かを考えました。

彼らの実験では、大きなケージで飼われる吸血コウモリからランダムに一匹選んで断食させ、ケージに戻したときに誰から血をシェアしてもらうか、またどれくらいシェアしてもらうか(シェアが行われた時間の長さで測る)を観測しました。そして、シェアの量と様々な変数(血縁同士か否か、過去にシェアをしたか否か、受け取る側の体の大きさ、など)との相関を分析しています。その結果、過去にシェアが行われたか否かが他の要因に比べて重要であるという結果が得られ、このことから互酬性に基づく説明が有力であると結論づけました。

本筋とは関係ないですが、このように「コウモリを断食させる」のはいわば「負の所得ショックを外生的に与える」ことに相当し、RCTでこれを行うことはまず不可能です。こういう実験ができるのは人間でない動物相手ならではといえますね。ちなみに断食させられたコウモリはその後ちゃんとご飯を与えられたのでご心配なく。

コメント

なぜ裏切らないのか

論文のはじめに著者らは “what prevents individuals from receiving the reproductive benefits of donor cooperation without paying the costs?” という疑問をあげています。例えば吸血コウモリのケースでは、自分がお腹いっぱいなところに「ねえねえ、血を分けておくれよう」と腹ぺこコウモリが近づいてきたとして、なぜわざわざ血を吐き戻して分けてあげなければならないのでしょうか。この論文の「互酬性がシェアの主な動機である」という発見は、結局この問いに答えられていないように思います(結局、「それではなぜ互酬性が観察されるのか」という問いが生まれる)。 多くの方はすでに「繰り返しゲームでしょ?」と思われているかもしれません。つまり、将来のリスクシェアリングから得られる便益が現在の裏切りから得られる便益を上回るのであれば、裏切るのではなく関係を保ち続ける可能性があるということです。もし二匹の吸血コウモリが繰り返しゲームの状況に置かれているならば、二匹のいずれも裏切ることなくシェアを続け、かつ「前回は血を分けてもらったから今回は分けてあげる」という互酬的と解釈できる行動も観測されるでしょう。 リスクシェアリングの文献ではCoate and Ravallion (1993) が繰り返しゲームに基づいて分析を行っており、他にも Ligon, Thomas, and Worrall (2002) などがこの「裏切る可能性」をモデルに入れた研究です。これらのモデルは「limited commitment model」と呼ばれ、この枠組みについて著者らがどのように考えるか、気になるところです。

ハラスメント仮説

この論文では、腹ペココウモリの体の大きさや年齢とシェアの量との相関が小さかったことから、ハラスメント仮設は説得力が弱いとされました。関連する経済学の論文で言えば、Schechter (2007)はパラグアイの農村で家計は自分の持ち物が盗まれることを防ぐために、盗みをはたらきそうな人に予め贈り物をするという実証結果を得ています。今回の論文では支持されませんでしたが、このように「自分への害を防ぐためにリソースを予め分け与える」という行動は、特に法の支配の弱い文脈ではある程度観測されるのかもしれません。

利他性と互酬性

また、この論文では過去に自分にシェアをしてくれた相手にシェアをし返す、という関係が強く観察され、「吸血コウモリは誰にでも利他的で、腹ぺこな相手には誰にでもシェアしちゃう」という仮説は支持されませんでした。Ligon and Schechter (2012) はパラグアイ農村で行ったフィールド・ラボ実験で人々の利他性と互酬性を観測し、利他性よりも互酬性のほうが実際の人々の間での贈り物のやり取りと強く相関していることを実証しています。 今回の論文では「吸血コウモリ間がどれだけ互酬的か」を考えていないですが、もしこれを観察することができれば、この変数とシェアの量・頻度との相関を見るのも面白そうだなと思いました。

情報の非対称性

リスクシェアリングの文脈では、上で述べた「limited commitment model」の他に、私的情報をモデルに入れたモデルもあります。例えば、血を飲むことに失敗しても仲間から血を分けてもらえるとわかってもらえるのであれば、わざわざ頑張って血をとろうと努力することを怠るかもしれません(モラルハザード)。あるいは、実は腹ペコではなくても「腹ペコだからシェアできません」と嘘をついて、仲間に血を分けることを断るかもしれません(hidden income)。これらに関しては Kinnan (2019)Ligon and Schechter (2020) が詳しいです。 吸血コウモリの間でこれらが問題になっているのか、もし問題になってないとすればどのようにこの問題を解消しているのか、といった点も気になりますね。

最後の一言

今回も読んでいただき、ありがとうございました!完全に私の趣味に付き合わせてしまったような気がしますが… ちなみに今回の論文のような吸血コウモリのシェアに関する論文はこれ以降たくさん出版されているようで、ここで見ることができます。

さらにちなみにですが、慶應大学の坂井教授の著書「暗号通貨VS.国家 ビットコインは終わらない」で以下のような記述を見つけました:

… マイナーの収益は不安的になりやすい。よって小規模なマイナーは収益を安定化させるため、チーム協定を結んでマイニングに当たることが多い。同じハッシュパワー同士なら「どちらがマイニングに成功しても報酬は半分ずつ」と取り決める。ハッシュパワーが異なるならそれに比例して報酬を分配する。

これもまさにリスクシェアリングで、マイナー間で limited commitment や私的情報(特にモラルハザード?)が問題にならないのか、気になるところです。このように、途上国だけでなくビットコインの世界でもコウモリの社会でも観測されるリスクシェアリング、とっても面白いですね!

さらにさらにちなみに、「動物の行動と経済学」の研究には例えばアリの行動についての Kirman (1993)があります。私が勝手に思っていることですが、動物の行動や形質は長い年月の進化の結果得られたものなので、それらがどのように生存に有利なのかを考えることは面白そうですし、人間の行動・形質に関する洞察も得られそうですね。

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鈴木

コメント

元橋:

渋谷さんのご指摘の通り、ハロウィーン仕様ですね(笑)。吸血コウモリの話がリスクシェアリングの話とつながっていてとても面白いです!吸血コウモリが血を共有するのは意外でした。このように分野を超えて、共通するアイディアがあるので、視野を広く持たないといけないなぁと思いました。

リスクシェアリングについて疑問なのですが、2人しかアクターしかいない場合は、どうシェアが起こり、それがどう良いのかは分かりやすいですが、3人以上のシェアリングで入り乱れる時にどうなるのか気になります。みんなにとって平等なシェアリングにならず、負の所得ショックが起こりにくい優良な世帯と多くシェアリングできる人が出てきたり、自分より状況の悪い人しかリスクシェアリングできない人が出てきそうです(距離的な要素、社会ステータス、ソーシャルスキルなどで)。そのような場合に、リスクシェアリングによって得をする人と損をする人が出てきそうなのですが、どうなるか気になりました(何もリスクシェアしないよりはマシということなのかもしれませんが)。また、リスクシェアリングが実施される場面で、良い所得ショックがあった人にたくさん人が助けを求めて、その中で誰に助けが差し伸べられるのかも気になる所です。

この研究に置き換えると、一匹だけ選んで断食させたので結果が解釈しやすいですが、例えば全体の半分をランダムに断食させると、血を分けてくれという競争の要素が出てきて、結果が曖昧になりそうです。

渋谷:

ハロウィーン仕様の経済ポストありがとうございます!個人的にこういう動物の生態に関する話が大好きなので、ある程度経済学に繋がっていれば全く問題ないですよ。因みに、コウモリの中だと私はフルーツコウモリが好きです。

今回のブログで思い出したのが、ボノボの習性。ボノボは争いを未然に防いだり、同盟関係を気づくのに生殖目的を持たない性行為を使うようです。つまり、人間ではない動物社会でも政治的ツールとして行動を取ることがあるようです。コウモリの社会性は人間に一番近いボノボとは違うものだとは思いますが、もしかしたらリスクシェアリングを紛争の未然防止策として使っていたりしたら面白いですね。(将来、狩りの領域等で紛争になりづらいよう、血を分けて恩を売っておく的な。)でも、この話の筋だと、どちらかというと繰り返しゲームの一部って感じですね。

鈴木さんの言うように、進化の過程からみた人間の行動・形質が経済行動とどう絡むのか、私もすごく興味があります。この流れの話で一つ思いつくのは、競争に対する思考における男女差に関する研究です。(例 Gneezy, Niederle, and Rustichini (2003)) ただ、どの程度までが生物学的及び遺伝学的で、どこまでが環境的なのか見分けるのが難しいですよね。なにか面白い実験とかできれば見分けられるのかな、と時々妄想します。

ちょっと話は経済から外れますが、科学内でも生物学的男女差に関する研究は結構もめているトピックのようです。以前読んだInferiorという本では、特に脳における男女差の研究の歴史的に、「男女差があるという潜入意識」に結果が導かれている可能性を書いていてとても面白かったです。ボノボも政治的な理由から男女間だけでなく、女性間での性行為を行うように、何が男性的で何が女性的なのかって色々な要素・環境によって決まるっているようで、本当に面白いトピックだなと思います。

中村:

もちろん論文の内容も面白いんですけど、鈴木さんの解説が今回は最高でした。コメントが遅れたので簡潔に済ませますが、考えさせられたのが、自然科学(コウモリの社会、という面では社会的かもしれないけれど)の法則の中にも経済学のコンセプトと類似するものがあるということのインプリケーションは、1)動物社会も社会科学的に解明できる、のか2)経済学の理論や実証研究は「科学」である、のかどちらなのかということです。第一回のAkerlofさんの論文と繋がるメタなポイントかもしれません。

文献:

Carter, Gerald G., and Gerald S. Wilkinson. “Food sharing in vampire bats: reciprocal help predicts donations more than relatedness or harassment.” Proceedings of the Royal Society B: Biological Sciences 280.1753 (2013): 20122573.

Coate, Stephen, and Martin Ravallion. “Reciprocity without commitment: Characterization and performance of informal insurance arrangements.” Journal of development Economics 40.1 (1993): 1-24.

Fafchamps, Marcel. “Risk sharing between households.” Handbook of social economics. Vol. 1. North-Holland, 2011. 1255-1279.

Cynthia Kinnan, 2019. “Distinguishing barriers to insurance in Thai villages,” Discussion Papers Series, Department of Economics, Tufts University 0831, Department of Economics, Tufts University.

Ligon, Ethan, and Laura Schechter. “Motives for sharing in social networks.” Journal of Development Economics 99.1 (2012): 13-26.

Ligon, Ethan, and Laura Schechter. “Structural experimentation to distinguish between models of risk sharing with frictions in rural Paraguay.” Economic Development and Cultural Change 69.1 (2020): 000-000.

Ligon, Ethan, Jonathan P. Thomas, and Tim Worrall. “Informal insurance arrangements with limited commitment: Theory and evidence from village economies.” The Review of Economic Studies 69.1 (2002): 209-244.

Schechter, Laura. 2007. “Theft, Gift-Giving, and Trustworthiness: Honesty Is Its Own Reward in Rural Paraguay.” American Economic Review, 97 (5): 1560-1582.

Townsend, Robert M. “Risk and insurance in village India.” Econometrica: Journal of the Econometric Society (1994): 539-591.

黒崎卓, and 澤田康幸. “途上国農村における家計の消費安定化―パキスタンの事例を中心に―.” 経済研究 50.2 (1999): 155-168.

Written on November 2, 2020