Besley and Case (1994): Diffusion as a Learning Process: Evidence from HYV Cotton

今回はBesley and Case (1994)を紹介します。 この論文は出版されていないものですが、「技術採択と学習」をテーマに構造推定を試みているもので、 (i) どのような枠組みでどのように構造推定をしようとしているのか、 (ii) 同時期に出版された、同様に「技術採択と学習」をテーマにしているFoster and Rosenzweig (1995)とどのように違うのか、をまとめてみたいと思いこの論文を選びました。

概要:

この論文は「新技術の効果を、自分あるいは他人の経験からどのように学習するのか」を明らかにすることを目的としています。 特にここでは「新しい綿花の品種」を新技術として、インド農村で農家がどのように学習を行い新技術を採択するかを分析します。 そのために、まず論文では農家の行動をモデル化し、データとつき合わせることでモデル内のパラメタを推定しています。 以下ではまずモデルについて説明し、その後簡単に筆者らが用いた推定手法について説明しますが、出版されていない論文ということもあるので、推定結果については議論しないこととします。

モデル

論文では、新しい技術が利用可能になったとき、農家が古い技術と新しい技術をどのように選択し、新技術の効果をどのように学習するかの過程をモデル化しています。 以下では単純化のために「新技術を採択する or しない」という選択を農家が行うとしますが、論文中では「自分の農地のうち、いくつに綿花の新品種を使うか」を考えています。

  1. まず農家はこれまでの経験をもとに、「新技術の効果はこれくらいだな」という予測を持ちます。ここで「経験」は(i)自分がこれまでに新技術を用いたときの結果、さらに(ii)周囲の農家がこれまでに新技術を用いたときの結果、を指します。重要なのは「自分自身の経験だけでなく周囲の農家の経験も新技術の効果の予測に使われる」という点です。
  2. この予測をもとに、農家は新技術を採択するか否かを決めます。ここで重要な点が2つあり、1つ目は「新技術の採択は今期の収穫量に影響を与えると同時に、新技術の効果についての情報をアップデートしてくれる」という点です。そのため、農家は「新しい品種を使うより、伝統的な品種を使ったほうが収穫量は多いだろうな」と思っていても、もしこの予想に自信がなければあえて新しい品種を使い、実際にどれくらい収穫量が違うのかを確かめるかもしれません。言い換えれば、「農家は伝統技術か新技術かを選ぶ際に、短期的な視点(今期の収穫量)だけではなく、長期的な視点(新技術の効果という情報の価値)にも立って判断をする」ということです。 2つ目は、「周囲の農家が新技術を採択するかどうかも考えて行動する」という点です。周囲の農家が新技術を使いその結果を教えてくれるなら、わざわざ自分で新技術を試す必要はありません。この意味で農家はゲーム的状況に置かれており、さらにゲームが学習という動学的な要素を持つため、動学ゲームの枠組みをとります。
  3. こうして農家は新技術を採択するかを決定し、収穫量が決まります(モデルでは労働や肥料などの生産投入は考えていません)。この収穫量(自分のも他人のも)を見て、「ふむふむ、新技術の効果はこんなものなのか」と予測をアップデートします。詳しくは省きますが、収穫量の分布などを仮定することとベイズの定理を使うことで、どのように予測がアップデートされるかのきれいな式を導出できます。
  4. 次の農期には、農家はこのアップデートされた予測を使ってまた「新しい技術を使うか」の意思決定を行い、その結果をもとに予測をアップデートして… という形で時間が流れていきます。

推定

上のモデルの中には様々なパラメタがあり(例えば「新技術の効果について、農家がはじめ(新技術が利用可能になったとき)にどんな予測をもっているか」「収穫量の不確実性はどれくらいか」などに関するパラメタ)、(やや不正確ですが)これらを Methods of Simulated Moments により推定しています。 ざっくり説明すると、(i) ランダムな要素(例えば収穫量のばらつきなど)を生成する、(ii) それぞれのランダム変数のもとでモデルを解き、何人の農家が各年に新技術を採択したかを求める、(iii) それらの平均を取り、実際のデータでの新技術の利用者数と比べる、(iv) この「シミュレーションで得られた新技術の利用者数」と「データでの新技術の利用者数」との差を小さくするパラメタを探す、という手続きを踏んでいます。 分析にはインドのICRISAT農村家計パネルデータにある一つの村の約40家計の情報を用いています。

意見・感想:

Foster and Rosenzweig (1995)との違い

同時期に出版された同様のテーマを持つ論文が、開発経済学を学んでいる人ならみんなご存知 (?) のFoster and Rosenzweig (1995)です。 どちらも、新技術を自分の経験と他人の経験から学習するモデルを提示し(実際、Foster and Rosenzweig のモデルは上で紹介したモデルにそっくりです)、構造推定を行っていますが、この論文との違いは

  • Besley and Case は「新技術の効果」を学習するモデルだが、Foster and Rosenzweigでは「新技術のもとでの最適なインプットの量」を学習するモデル (taget-input model と呼ばれる)
  • Besley and Case は自分の経験と他人の経験が全く同じ効果を持つと仮定されているが、Foster and Rosenzweigでは自分の経験と他人の経験との学習にとっての重要度が異なることが許容されていて、この違いもデータを使ってテストしている
  • Foster and Rosenzweig のモデルでは農家が一度新技術を採択するとその後ずーっと採択し続けることになるが、Besley and Caseでは一度新技術を使っても次の期には使わないことがありうる
  • どちらもモデルは動学だが、Foster and Rosenzweigは静学的な利潤について推定を行い、一方Besley and Case は動学モデルをフルに使って推定をしている

などです。

これは私個人の見解ですが、Foster and Rosenzweigはモデルの中であまり重要でない部分を捨象する、あるいはモデルにやや強い仮定を置くことで、うまくモデルとデータとをつなげたなと思います。 上にある「最適なインプットの量を学習する」点や「一度新技術を採択したあとは、その技術を使い続ける」点は非現実的なように思いますが、結果的に構造推定をしやすいモデルを導出したところに上手さがあるように思いました。 具体的には、モデルの仮定から、過去の経験は「これまでに何回新しい技術を使ったか」のみを通じて期待利潤に影響を与え、「過去に新技術を使ったときの収穫量」などの情報は期待利潤の式に入ってこないため、「過去の新技術の利用回数」を用いて静学的な推定を行うことができています。 また、彼らは自分の経験と他人の経験との学習への寄与度の違いも推定することができているという点で、「何が新技術の学習に重要か」という問いによりダイレクトな答えを出すことができているとも言えます。

他方、Besley and Case は(少なくとも私には)より現実的な設定のもと動学的なモデルをたてていますが、結果的に推定が複雑になり、かつ下で少し述べる複数均衡の問題など、余計な問題に直面することになったのかなと思います。 いずれにせよ、どちらのモデルも「学習がどのように行われるか」を考えるうえで有用であることは間違いなく、下で述べるように実証研究への含意もあるという点で素晴らしいものだと思います。

余談ですが、Foster and Rosenzweig (1995) の元論文は複雑かつタイポが多く、(少なくとも私には)かなり読みづらかったので、モデルのエッセンスを知りたい方は Bardhan and Udryの教科書がおすすめです。 我田引水になりますが、論文内の式の導出などは私もここにまとめています。

新技術の採択の実証研究への含意

この論文や Foster and Rosenzweig (1995) などが指摘するように、新しい技術が導入されたとき、その効果について経験を通じて学習が行われる、さらにその学習は他人の経験を観察することによっても行われるというのは非常に重要だと思います。 仮に、ある村で「農家に天候インデックス保険を提供したが、多くの農家が保険を購入しなかった」という実証結果が得られたとしましょう。 この結果から「この村に天候インデックス保険を導入しても無駄」という結論を導くこともできるかもしれませんが、Besley and Case (1994)の枠組みに従えば、多くの農家は他の農家が実際に天候インデックス保険を利用するのを単に「待っている」状態にあり、その結果を十分に観察してから保険を購入するかどうかを決めようとしているのかもしれません。 もしそうであるなら、何度も天候インデックス保険の利用を促すことで徐々に利用者が増えていく可能性があります。 この場合、より妥当なアウトカムは短期ではなく長期の利用者数の増加と言えるでしょう。 このように実証結果の解釈の助けになるという意味でも素敵なモデルだなと思います。

その他のコメント

上で述べたように、この論文のモデルは動学ゲームの枠組みをとっています。 動学ゲームはしばしば複数均衡をもち、推定を行う上でこのことが問題になることが多いですが、この論文ではこの点について詳しく議論がされていません。 私自身このあたりのことはあまり詳しくないので、どなたかコメントいただけると幸いです(笑)。

他分野との関連でいうと、IOの「ベイジアンアップデートによる学習」に関する論文に

などがあります。 また、「他のプレイヤーとの関わりを通じて技術採択をするかどうかを決める」という構造は、企業の参入・退出の問題に似ているように思います。 このあたりの論文と今回の論文との接点などを考えるのも面白そうだなと思いますが、それはまたの機会に…

最後の一言

今回も読んでいただき、ありがとうございました。 今回の Besley and Case (1994) のモデルについては、こちらの本のCh.1にも説明されているので、よかったらご参照ください。 Besley and Case (1993) も今回の論文のモデルについて解説しています。

本ブログ記事に対するご感想や、本ブログ全体に関わるご意見などもありましたら、econ.blog.japan@gmail.comまでご連絡ください。

また、Twitterアカウントの@EconJapanのフォローもよければお願いします。Twitterでの本ブログのコメント・拡散も歓迎です。その際は、#econjapanblogをお使いください!

鈴木

コメント

渋谷:

Besely and Case(1994)とFoster and Rosensweig(1995)の比較がとてもありがたいです。モデル構造の比較もですが、各モデルの政策含意の差まで書いてありとても勉強になりました。

技術採択における学習効果に関しては上述の論文のあとに、実証研究が結構出ていますよね。 有名なところでいうとConley and Udry (2010)でガーナのパイナップル農家のお話があります。この論文では、あくまでこの環境化では、Besely and Case (1994)が言うような「お隣さんからの学び」の重要性が実証されています。

Conley and Udry (2010)の脚注3でこのような技術採択を説明する学習モデルでは、一つの農村の中では情報バリアはないと仮定されていると指摘されていました。確かに、現実ではどんなに小さな農村でも政治的社会的に力の格差や階層があり、どの農家も同じように学べるというわけではない。この点に触れている実証研究だとKondlis, Mueller, Sheriff, and Zhu (2016)Maertens and Barrett (2013)を思いつきます。学習効果の理論と照らしあわせて、後日このあたりの実証研究のレビューも勉強のためにブログにしたいと思います。

元橋:

本論文は、古いのにも関わらずIntuitionがとても示唆に富んでいて、本論文のポイントを最近のエコノメの手法を使ってしっかりと検証したり、ネットワーク理論を使って拡張するのは面白そうな気がしました。

他人の経験を観察することで、自分が新技術を導入しなくても学ぶというところが、とても興味深かったです。ただ、これについて、いくつか疑問が出てきました。>鈴木さん、よかったらコメント欄で返信ください。

  • 収穫高が農家同士で共有されている地域が対象になっているのでしょうか。または、育ち具合を目視することで、だいだい収穫高がわかるような品種なのでしょうか。

  • 農家同士で土地の性質に違いがないような地域なのでしょうか。例えば、土壌のQualityや地下水のAvailabilityが農家ごとに違う場合、他の農家の経験が、そのまま自分に通用しないような気がしました。

  • 他の農家を待つインセンティブがあるならば、誰も新技術を採用していない状況で、誰が最初のスタートを切るのでしょうか?言い換えれば、自分の経験もないし、他の人の経験もない状況で、どう採択が決まるのでしょうか?このモデルで、理論的な予測はあるのでしょうか?(リスク選好の低い人?)。

中村:

理論のわかりやすいまとめ、Foster and Rosensweig(1995)の比較ありがとうございます!コメント、というより、実証研究について知りたい事、聞いたことのある事例をまとめました。

  • 学習のメカニズムについて:
    • 1)農家が自身の経験を通して新しい技術について学ぶ、あるいは2)他の農家の行動を観察することから新しい技術について学ぶ、などいろいろな学習のメカニズムがあると思いますが、それらのメカニズムの比較的重要性はどうなのか?それらのメカニズム同士で相補性、代替性はあるのか?最近学んだのはCai, de Janvry, Sadouletが2015年と2020年に書いたペーパー(両方とも実証実験)があり、以下の点が検証されている。
    • Cai, de Janvry, Sadoulet(2015)は鈴木さんの例のように天候インデックス保険(天候の結果によって農作物の収穫高が変動する農家に向けて、天候とリンクした保険商品を提供している)を途上国の農家が導入する場合、保険についての情報が”社会的なつながり”を通して伝導している。このケースでは他の農家が保険を導入するか否かという行動を観察するというメカニズムではなく、保険に関する情報を知り合いなどから学ぶことが大事。
    • Cai, de Janvry, Sadoulet(2020)は”経験と学習”についてもう少し深掘りしている。天候インデックス保険についての知識が高い農家は、保険購入後天候ショックを実際に受ける(干魃などが起こる)とその後も保険を購入し続けるけれど、保険についての知識が低い人たちは近年の自身の経験をベースにして購入判断をするので、恒久的な保険の導入をしない。よって保険についての知識向上が保険の導入にとっては大事である。
    • うちの大学でもBoucher et al.が干魃に強い品種の導入と天候インデックス保険に関しての研究をしている。(リンクに載せた論文はまだかなり浅い草稿の段階だと思いますが、先日プレゼンを聴いて面白いと思ったので是非。)
  • 存在するメカニズムは『学習』なのか、それとも他の相関したメカニズムなのか
    • Cai, de Janvry, Sadoulet(2015)にこの点は含まれるかもしれないけれど、実証実験を行った時に、いかに自分が思っているメカニズムが存在して、その他の相関したメカニズムではないですよ、と読者を納得させるのはまあ全般的に難しい問題かもしれない。しかし”周囲の農家からの学習”のように、具体的な測定が難しいメカニズムをいかに紐解くか、という点についてもう少し学びたいと思った。新しい農業技術(例えば乾燥に強い品種、収穫量がより高い品種、など)の導入に関しては、大体最初に思いつくメカニズムは『ほかの人の経験からその技術の有効性について学ぶ』というものだけれど、例えば同じように「みんながその技術を導入しているから、自らが失敗しそうになったらほかの経験のある人たちが助けてくれる』あるいは「この技術を導入するコストは思っていたより高くないようだ』などコスト面に対する推測、あるいはコストそのものが減少している可能性もある。このようなフィールドワークは自身がしたことがないのでよく分からないのだけれど、経験したことのある方がいたら話をいろいろ聞きたい。

文献:

Ackerberg, Daniel A. “Advertising, learning, and consumer choice in experience good markets: an empirical examination.” International Economic Review 44.3 (2003): 1007-1040.

Besley, Timothy, and Anne Case. “Modeling technology adoption in developing countries.” The American economic review 83.2 (1993): 396-402.

Besley, Timothy, and Anne Case. Diffusion as a learning process: Evidence from HYV cotton. No. 174. (1994).

Cai, Jing, Alain De Janvry, and Elisabeth Sadoulet. “Social networks and the decision to insure.” American Economic Journal: Applied Economics 7.2 (2015): 81-108.

Cai, Jing, Alain De Janvry, and Elisabeth Sadoulet. Subsidy policies and insurance demand. No. w22702. National Bureau of Economic Research, 2016.

Crawford, Gregory S., and Matthew Shum. “Uncertainty and learning in pharmaceutical demand.” Econometrica 73.4 (2005): 1137-1173.

Foster, Andrew D., and Mark R. Rosenzweig. “Learning by doing and learning from others: Human capital and technical change in agriculture.” Journal of political Economy 103.6 (1995): 1176-1209.

Written on October 5, 2020